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メッセージ

治療しながら妊娠出産を経験した女性患者さんから


多発性硬化症と診断された妹たちへ  

 私は今から14年前の2008年、29歳の時に多発性硬化症と診断され、母になることや仕事を続けていくことをあきらめたことがあります。あなたはどうですか。難病と診断され、戸惑い傷ついているだろうあなたに、病気の十分な説明と治療の選択肢があることを願っています。
もしもあなたが、病気だとわかったことで絶望の中にいる場合、私達の先には光があること、そして、子どもをもつことや、仕事を続けて自分らしく生きていくことを諦めないでいいとお伝えできればいいなと思っています。
 今の私は、治療を続けながら男の子2人に恵まれ、家族のサポートのお陰もあって仕事もセーブしながらですが続けています。私にとっては、想像もできなかった奇跡のような日々です。それには、主治医の斎田孝彦先生との出会いがあり、「子ども?産めるよ!産んだらいいよ!」「仕事は辞めたらだめ、しんどくてあたりまえ。」といつも私を励まし支えてくださったことが大きく影響しています。あなたの周りにも、信頼できる先生がいらっしゃるといいなと思っています。
 私が診断された当時は、有効な治療薬はアボネックスのみで、毎週の自己注射による副作用が強くフルタイムの仕事を続けていくことは難しいのが現実でした。この十年余りの間に、多発性硬化症の治療薬は次々と登場し私もその恩恵を受けてきました。ありがたいことに、タイサブリ、ジレニア、テクフィデラ、ケシンプタと新しくなるにつれて効果が上がり、副作用も少ないものになっていきました。斎田先生は、「この調子で長生きできるし、日々の生活で病気であることを意識する必要はないよ。」と声をかけて下さっています。
 信じられますか?長年有効な治療法がなく、発病してから10年ほどでだんだんと目が見えなくなったり、体中の神経がうまく働かなくなったり、呼吸中枢が機能しなくなった時には命にかかわると言われた多発性硬化症の私が、病気のことを忘れて生活していいと言われたんです。病は気からとよく言いますが、先生の一言でどんなに勇気づけられ前向きになれたか、涙がでるほど嬉しくて毎日が輝きだしたか、あなたなら分かって下さると思います。まじめに治療することで、病気と付き合いながら暮らしていけることに感謝してもしきれない思いです。
 難病だと言われたことで、一瞬で世界の色が変わったような気がしたのをはっきりと覚えています。今では、そんな経験をした私だからこそ、見える世界があるのかもしれないと思えるようになりました。いつもの毎日が、かけがえのない日々であることに気がついたのは病気をしてからかもしれません。
 現在、ケシンプタにお世話になっていますが、自覚できる副作用はなく、月一回の通院以外で病気であることは忘れるようにしています。同じ病気がご縁で知り合った友人は、ただいま第2子を妊娠中です。男の子ふたりの育児は、例にもれず大変です。でも、いつも感謝の気持ちが少しだけ上回っていて、子どもたちへのいとおしさが私の育児を支えています。限界を決めず、自分らしく生きていく友人と刺激しあい、励ましあっていけることにも感謝しています。私の14年がそうであったように、時間はかかるかもしれませんが、あなたにもそんな日々が訪れることを願っています。あなたは何かを失ったかもしれないし、深い悲しみは消えることはないかもしれないけれど、一緒に歩いていけるようになる日がきっと来ると信じてみてください。
                        大阪の多発性硬化症の先輩より 愛を込めて

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